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難航した会長選び

 小中高校の始業式も終わり、新学期がスタートした。

 企業や行政機関も新年度を迎え、人事異動や仕事の引き継ぎも終わり、
新しい体制が動き出していることだろう。

 私達の町内自治会や老人会、子供会の各会長もそれぞれ任期満了となり、
後継会長を選ぶこととなった。


 私を含む三名が自治会長の選考委員となった。

 前会長には、2期4年の任期をつとめてもらい、会則上、交代が必要である。


 回覧により、推薦候補者を募る。

 推薦に挙がってきた候補者は一人。
 
 早速、選考委員うちそろって出かけるも、諸事情で引き受けてもらえず、断念。


 やむなく選考委員会で10名ほどの名前を挙げ、分担して接触を試みることにした。
しかし、すべて仕事や家庭の事情等を理由に断られ、万策尽きる思いにかられる。

 近隣の老人会では、会長が決まらず老人会を解散したところもある。
会長が決まらなければ自治会だって同じである。崩壊する。

 困り果てて、ついに、選考委員の一人は「夜中にちくちく胃が痛む」といって、
胃潰瘍と診断される。

 任意団体であるとはいえ、会長不在で、自治会をつぶすわけにはいかない。
超高齢社会が進行する中で、地域がまとまり、共助、協力の諸活動を推進していくには
自治会の組織は不可欠である。

 切羽詰まったところで、副会長二人と直談判することに─。

 自治会の役割、この町の現状と行く末など、重たく、厳しい話し合いの末、
副会長の一人が、自治会長を引き受けることに同意。老人会の会長は選考委員の一人が
引き受けることで、ようやく一件落着。

 老人会の会長と子供会の会長は自治会の役員も兼務するのだ。
この町では、子供会から老人会までいっしょになって自治会役員を構成しており、
民生委員も役員として加わる。

 今それぞれ前会長との引き継ぎが行われており、来週日曜日の自治会総会で承認されて、
正式決定となる。


 会長選びは今回も難航したが、ひとたび会長が決まれば充実した地域活動が推進される。

 わが町の特色であり喜びでもある。

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命をつなぐ花々

 昨日家内を車に乗せて花見に出かけた。

 前線が通過する前で、今までにない見事な花見ができた。

 花は文字通り満開で、どの枝先を見ても蕾はなく、全部開花していた。
しかも、花びらは落ちてこない。こんな綺麗な桜花は初めてである。
施設の方の話では、「雨のあと急に気温が上がったから、一斉に咲いたのでしょう」
とのことであった。

 我が家の庭では、ツバキやチンチョウ、紅、白梅が終わり、
今はマンサク、アセビ、レンギョウ、モモ、ヒイラギナンテン、ボケなどが
咲き誇っている。ジャコウフジの芳香が漂うのも近い。


 ボケの1本は寒ボケで、昨年の11月ごろから咲き始め、今も鮮やかな深紅の彩りを
見せている。
 厳しい寒さの中を、4ヶ月にわたり咲き続けるという変わった植物なのだが、
何といっても、その生命力には驚かされる。花のあとには木瓜とよばれる見事な実を結ぶ。


 植物にとって、花を咲かせるということは、結局のところ命をつないでいくための営みなのだ。
花は植物の生殖器である。どんな小さな草花でも、自分の命をつないでいくために
必死の営みを果たしている。

 そう思って眺めると、1本1本の草木や花が実に愛おしく思えてくる。

 厳しい寒さや乾燥にも耐え、“こんなところに”と目を疑うような石垣やコンクリート
の割れ目から、花を咲かせ実を結ぶ“ど根性な植物”もある。


 植物は花の季節をつくり、人間の目を楽しませてくれるが、実は風や虫など自然の力を借り、
共生しながら自らの命を次の世代につないでいく営みをしているのだ。
 花は、それだから美しく輝いているのかも知れない。

 人も祖先から受け継いだ自らの命、しっかりと未来に向け、伝えていかなければなるまい。

 花が美しく輝いているように・・・・。


待望の人物か?

 歴史を振り返ってみると、時代が行き詰まったとき、
必ずその時代を破壊し、新しい時代を切り開こうとする人物が現れる。

 織田信長が典型的な例だ。
幕末の坂本龍馬もその一人といえよう。

 今、わが日本の状況は、何処を見ても老化し、弛んだり、硬直化したり、
腐敗したりで、危機管理もままならず、行き詰まっているとしかいいようがない。

 この状況は、シロアリが巣くった木造家屋のように、ぼやっとしていると、
自然崩壊してしまいそうだ。

 何時そうなるかわからない。不安だ。

 そうならない前に、古い土台や骨組みを壊し、変貌する未来を見据えて、
それに対応できる新しい時代を創造することが必要なのだ。

 今こそ、未来を見通す英知と強力なリーダーシップを持った改革者の出現が望まれる。


 
 もう、そろそろ、そういう人物が出てきてよい頃ではないか。

 命を省みず、ひたすら日本改造のために奔走し、古い障害物を破壊し、
 新しい展望をひらいてくれる人物が・・・。



 一人の人物が今大きなうねりを作りつつある。

 誰も言い出せないでいる、改革しなければならないことを明確に指し示し、
強力な行動力と指導力を発揮しつつある。

 改革には、必ず反対がつきまとう。ときには命さえ狙う者もいる。
売名目的ではできないことだ。 彼のやる気は本気だと思いたい。
 

 「年頭所感」の末尾を、「初詣龍馬のごとき人を待つ」と結んだが、
ひょっとしたら、彼が「龍馬のごとき人」になっていくのでは? と、思ったりする。

 救世主の待望だ。

 発生したばかりの台風が、巨大台風に成長していくか。興味と期待を持って見守りたい。

   

三種の人材

 「人材には三種類の人材がある。」

 誰が書いたのかは忘れたが、若い頃に読んだ話だ。

 三種類の人材とは、人罪、人在、人財である。


 いうまでもなく人罪とは、世の中や国家社会に害毒を及ぼすような人材だ。

 人在とは、毒にも薬にもならない人材、いてもいなくても大して影響のない人材だ。
そして人財とは、まさに世の中や国家社会になくてはならない宝の人材なのだ。


 当時は、乱暴な話だと思っていたが、この歳になって、よく考えてみると
なるほどと納得のいくことが多くなった。


 国会がその一つだ。

 あまりにも人在が多すぎる。
自分では人財だと思っているかも知れない人材も、実は人在であったり、国家国民の害毒に
なっている人罪もある。そのことに自分では気がついていないのだから、厄介だ。
処方する薬もない。

あれだけの人数がいて、一体何をやっているのだ。

もどかしいやら、腹立たしいやら、もうどうにもとまらない。


 そのうちに、総選挙がやってくる。

 その時こそ、人罪や人在を一掃して、人財があふれる国会にしたいものだ。

 この国を救うラストチャンスと考えたい。 国民が主権者なのだ。

草を見ずして草を取る

 昔の人の言葉に、
「上農は草を見ずして草を取る、中農は草を見て草を取る、下農は草を見て草を取らず」

 というのがある。

 草を見て草を取るのが普通のお百姓さん、熱心なお百姓さんは草を見ないで草を取る、
そうでないお百姓さんは草を見ても草を取らない、というものだ。

 狭い菜園なのだ。今年は草を見ない菜園にしてみたい。
それには冬場の管理が大切だ。
そう考えて、耕せる部分はすでに、二回ほど天地返しをした。

 毎日、暇をみては菜園を見て回る。
この寒さなのに、もう春の草が芽を出しかけている。

 負けじと鍬で削る。
草を見ずして草を取るというのは大変なことだ。

 油断のない管理と根気のいる作業の繰り返しが必要だ。

 
 ところで、今日、作業をしながら、ふと国会に思いを馳せた。

 草が生えているのはわかっている。
取らなくてはならない草が一杯あるのに、理屈をいうだけで誰も取ろうとはしない。

 草を見て草を取らない政治家ばかり、よくもそろったものだ。
畑は荒れていくばかり。すでに藪になろうとしている。作物は作れなくなる。

 国の崩壊だ。
のんびり構えている時ではないのだ。
 
 草を見ずして草を取る、そんな政治家でなくていい。
せめて、草を見たらあわてて草を取る政治家であって欲しいものだ。
プロフィール

Author:rosenクン


グラウンドゴルフと菜園作りの趣味に明け暮れる熟年の男。たまに世間を眺めては、もの申したり、つぶいたり・・・

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